金鱗湖2




宇奈岐日女(うなぎひめ)と蹴裂権現(けさきごんげん)
大むかし、由布院盆地はまわりを山々にかこまれ、まっさおな水を満々とたたえた大きな湖であった。湖の東がわにそびえ立つ由布岳は、その美しいすがたをしずかな湖水にうつしていた。
人々は、湖のまわりのゆるやかな丘や、日あたりのよい山のふもとに村をつくり、毎日をのどかにすごしていた。由布岳の女神宇奈岐日女は、家来の者をつれて湖のまわりの山々を歩いて、人々のくらしのようすをごらんになっていた。

ある日のこと、湖をかこむ山の一つ、倉木山からじっと湖をながめていた女神は、ふと思いつくことがあって、家来の中から権現という大男をよび出した。
そして、「この湖をほせば、底からこえた土地が現れるであろう。そこに人々が住みつき、たくさんの人たちがくらせるようになるであろう。権現よ、おまえは力持ちだから、湖のかべをけやぶってみよとお命じになった。権現は女神の前にひざまずいて、「これは、わたしにとって一生一代の大仕事であります。あるかぎりの力をふりしぼって、かならず役目をはたしてみせましょう。」と答えると、女神の前からひき下がった。

権現は、つぎの目からさっそく湖のまわりをなんどもまわって、かべのようすを調べた。どうやら、西のかべがいちばん弱そうだということがわかった。そこで権現は、ここぞとばかり、「えい。」と、力いっぱい西がわのかべをけとばした。さすがに力じまんの権現である。まっさおな湖水をたたえていた固い山はだも、権現のひとけりでみごとに破れた。湖水はすざまじい音をたてて流れ出し、大きな川となって豊後湾(別府湾)へ流れこんだ。そして、みるみるうちに水かさがへり、丸い大きなくぼみが現れはじめた。

そのときである。一頭の大きな竜が、とつぜんすがたを現した。この湖をすみかにして、何百年も生きてきた竜であった。水がだんだん少なくなってくると、竜は自分のすがたをかくすことができなくなったのである。
とうとう水がなくなって、背中が見えるほどになると、さすがの竜も神通力をうしない、のたうちながらあえぎあえぎ小川をさかのぼって、由布岳のふもとまでやってきた。そこは、わずかに水がのこっていて、小さな池になっていた。

つかれはてて息もたえだえの竜は、やっとの思いでひと息いれると、「わたしは、長い間、この湖にすんでいた竜です。これからは、湖のすべてを自分のすみかにしようとは思いません。ただここに、数町歩(一町歩は約99.2アール)いただければけっこうです。安心してすめる池をください。やがて元気をとりもどしたら、かならず他の湖へうつります。そうしていただければ、ここに美しい水をわき出させ、この村をいつまで も守りましょう。」と女神にやくそくした。
写真は宇奈岐日女神社竜をかわいそうに思われた女神は、こころよく竜のねがいをかなえてやり、そこに一つの池をのこした。これが岳本の池(今の金麟湖といわれる)である。

すっかり水がなくなった湖のあとには、黒々とした土が現れた。女神はさっそく人々を集めて、お米の作り方や作物の育て方をおしえられた。山のふもとに家をたて、かりをしてくらしていた村の人々は、盆地へおりてくらすようになった。そして、女神におしえられたとおりに田畑をたがやし、はじめて作物の種をまいた。

あたたかい日ざしと岳本の池からこんこんとわき出る水にめぐまれて、新しい由布院盆地からたくさんのお米がとれるようになった。村の人々はたいそうよろこんだ。岳本の池にすむことになった竜は、その後ふたたび神通力をとりもどして天にのばったということである。

こうして由布院盆地は、女神が考えていたとおりにゆたかな住みよい村になり、人々がしあわせにくらせるようになったということである。


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