大友宗麟墓地公園からの風景
大友宗麟は1530年に府内(今の大分市)で生まれ弱冠21歳で戦国時代の真っ只中に大友21代の城主となり、
豊前・豊後・筑前・筑後・肥前・肥後の6箇国と日向・伊予の各半分を領し大友の最盛期を築きました。
日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルを迎えてキリスト教を庇護したため
信者も増え府内には西欧文化が絢爛と栄えました。
1582年にはキリシタン大名 大村・有馬とともに少年使節をローマに派遣しました。
しかし1586年島津と戦って破れ1587年津久見の住居で帰天しました、時に58歳。
葬儀は神父たちにより盛大に行われ墓もキリスト教式に建てられましたが、秀吉が突然耶蘇教禁令を発布したため
宗麟の嫡子義統は仏式の墓に取り替えました、その後墓も荒廃し
昭和52年大分市出身の世界的建築家 磯崎新氏に設計をお願いしこの新しいお墓が作られました。
流れているメロディは宗麟没後400年祭を記念して佐伯市出身の麻生英臣氏作曲(編曲:杜こなて)の
「大友宗麟公賛歌のメロディー」 ヤマハ音楽教室有志によるクラビノーバ演奏です
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