2005年8月5日 見た事はないけどエーゲ海のような風景
太平洋戦争末期 昭和20年7月25日 当時保戸島国民学校の全児童数は960人 米軍のグラマン機が学校に爆弾を投下 教師と児童合わせて 127人が死亡 75人が負傷するという惨劇が起こっています グラマン機は逃げる学童めがけて機銃掃射し学校は血の海になったということで 忘れてはならない悲劇です 現在保戸島小学校にこの空襲慰霊碑があり死亡者の氏名が書かれていました