2009年3月11日 この崖に作られた舞台に千体を超える地蔵があります。
羅漢寺の大蛇 伝説
キリスト教を信じた大友宗燐のため、焼かれた寺は多いが、耶馬渓の羅漢寺もまた、まさに焼かれようとした寺の一つである。
そのとき、大友軍の兵士たちは手に手に松明をかざし、羅漢寺の境内になだれ込んだ。ところが、本堂の屋根に大蛇がいて、近寄る兵士をにらみつけているではないか。宗麟は「蛇ごときに……」と口惜しがり、兵士を励まして「かかれ、かかれ」と命ずるが、本堂をひとまきして屋根に鎌首をもたげた大蛇の気味悪さに、兵士はしりごみするばかり。
このとき、宗麟のそばに坂部左近、佐伯権之介という二人の若い武士がいた。左近は鉄砲の名手、権之介は文に秀でていたが、共に仲がよかった。左近はひるむ兵士をみて、進み出て大蛇退治を申し出た。権之介が「大蛇は古くからこの寺に棲むもの。人間の力では及ばない」と左近をおさえたが、左近は思いとどまらない。
その左近が鉄砲を大蛇に向け、ねらいを定めてまさに引き金をひこうとした瞬間、たくさんの雷が一時に落ちたようなすさまじい音とともに、稲妻が走った。この光に左近は目がくらみそうになったが、ひるまずに引き金を引いた。すると、再び雷鳴と稲妻が起こり、左近はその場に打ち倒されて即死した。
このありさまに兵士たちはますます恐れ、ついには宗鱗もあきらめて羅漢寺から兵を引いた。
次の日、避難していた寺や付近の人たちが帰ってきたとき、大蛇の姿はすでになかった。
宗麟が晩年に苦労したのは、この大蛇の毒気に当てられたためだと土地の人々は話し合ったといわれる。