八面山から中津平野を見る



八面山の竜女  伝説
天明五年(1785年)のことである。豊前地方を激しい干害が襲い、村々では切に雨を祈った。耶馬渓から中津一帯も同じこと。山国川の流れも干上がるかにみえた。このとき、雨乞いをしてみましょうと申し出たのが中津の自性寺である。中津城主のはげましを受けて、八面山の山頂にある他のほとりで祈願することになった。

自性寺にいた憎70人は、その前日から夜を徹して般若経をよみ、当日は海門和尚に引きつれられて三口河原から山国川沿いにさかのぼり、八面山に向かった。山頂に着くとすぐ、断食の祈願が始まった。
祈願は七日七夜続けられた。そして満願の日が来た。しかし、空は相変わらず晴れ渡っていて雲の影もない。曇ったのは海門和尚の顔の方である。これほどにまで心を込めて祈ったのに、ついにむくわれないのかーと、みんな声もなかった。

ところが、急に一陣の風が吹き渡ったかと思うと、池の水が波立ち始めた。なにごとかと一同が見守るなかで、水面から忽然と現れたのは竜女。顔は女、からだは竜で、手に珠を持っていた。
竜女は和尚に対し「いま雨雲はどこにもありません。このまま祈願を続けてもむだでしょう。
しかし、あなたがこの珠を受けて、私を成仏させてくれるとしたら、一命をすててでも雨を降らせましょう」という。和尚に異存はない。珠を受け取って「必ず成仏させてあげよう。その代わり雨を頼みます」といい、ふもとの村々を指して水のない苦しみを説いた。

竜女が水面から姿を消して間もなく、山は鳴り始め、空はにわかに曇ってきた。とみる間に、激しい雨が降り始めた。山を下ってきた海門和尚の一行を、里人たちは列を作って迎、え、ふしおがんだ。以来、雨は五日間も続き、干上がっていた野山も田畑もすっかり生気を取り戻した。

海門和尚が城主から称賛されたことはいうまでもない。同時に、和尚は竜女のために深く冥福を祈った。ところで、竜女が和尚に与えた珠は、いくぶん軟らかみをおびたもので、竜女はそのさい 「女の方には見せないようにしてください」といっていた。だが、珠が一時城中に置かれていたとき、殿の奥方が好奇心から箱のふたを取り、のぞいてしまった。

おかげで珠はすっかり堅くなり、しかもヒビが入ってしまった。とともに、それからは雨を降らす力がなくなったそうだ。この珠はいまでも自性寺に秘蔵されている。



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