御手洗家墓所と北限自生のビロウの木

米水津村ではこの部落だけに竹が生えていますので竹の浦と呼ばれる地区です 近くにビロウ樹(ヤシ科の植物)が自生してここが北限だそうです 御手洗家の墓所の前です 一番古い墓には慶長九年の文字がありました 御手洗一族は瀬戸内海の海上を支配していましたが 安芸の「小早川」に破れ  米水津に漂着したが 瀬戸内水軍の伝統は受け継いでいた為 佐伯藩時代から 海上警備の任に当たり 長男は竹野浦で下浦の庄屋に 二男が蒲江浦の庄屋に(キャノンの社長 御手洗氏のご先祖です) 三男が日向細島の庄屋になったとのことです